古くは新竹瓦温泉。元町六(元別府町大字別府字北町五四一番地ノ三)にある浴場。大正五年(一九一六)藤沢徳太郎外四名が三二〇〇余円(別府市誌には二、五〇〇円とある)を投じて創設した。当時の建物は一階が二三坪、二階が二一坪二合五勺で、宅地を三一坪八合四勺の土地に建てられていた。入浴料は無料で一般に公開していた。 しかし、青莚銀行に二、五〇〇円の借入れ金があったため、経営は不振となり、そこで藤沢徳太郎外四名は協議の末、大正七年五月二十九日市よりの買収を請願。大正七年七月五日、同年の別府町基本財産費で買収を決定、市有温泉となったものである。価格は、土地が一四三二円、家屋(木造瓦葺)が一〇六八円であった(大正七、第五回町会「第五号議案」)。 市有になってからは、砂湯の設備をはじめ各種の整備をすすめ梅園温泉と改名した。 このころ温泉場付近には動物園があったとみえ、大正九年(一九二〇)の「温泉案内」には、附近梅園町の一角には、別府名所の一ツになって居る動物園がありまして、園内にはさまざまの動物、珍らしき鳥、愛らしいお猿等沢山居ますから浴後の散歩がてら御見物なさるも又慰安の一つであります。 とある。また大正十三年(一九二四)稗田武士の「別府案内」には、 「(上略)…臥湯を有する市有浴場。泉浴もあります。臥ながら患部を暖砂で温灸し得るのが特色。泉質炭酸泉、入浴料無料公開、…(下略)…」とある。 大正十四年(一九二五)になると、市費支弁外の市有温泉となる。同温泉の規程には、 第一条市有柳、寿、梅園温泉の維持管理方法ハ本規程ノ定ムル所二依ル、市ハ前項各温泉所在地ノ区民代表者五名以上ニ対シ左ノ条件ヲ付シ無料管理セシム、 一、入浴料ヲ徴スルコトヲ得ス、但シ特別ノ設備ヲナシタル浴槽ニ入浴スル者ニ対シテハ、市長ノ承認ヲ受ケ、之ヲ徴収スルコトヲ得。 一、区民代表者ハ、其ノ温泉家屋ヲ市長ノ指定シタル火災保険ニ付シ、受取人ヲ市長ニ定ムヘシ(以下略)、とある。 昭和八年(一九三三)の「別府市法」には、梅園温泉、大字別府梅園町に在る温泉也。 泉浴の外ニ臥湯あり、寝ながら暖沙もて患部を温灸し得ること、柳温泉に同じ。 と記されている。いまは市有区営で突き湯温泉である。